川の流れに向い起つ,聖牛たちとその古代幻想を考えてみる

川原遺跡護岸施設 江南の聖牛

古代工法,少し前向きに評価しなおしたらよいと考えてる。朝日遺跡の「逆茂木+乱杭」や「ヤナ」と言われる構造物,台状遺構という極めて稀な施設・・などなど。ヒントはいくつかあるが,今特に注目しているのはこれだ。

聖牛工
牛は、棟木の長さにより、「大聖牛」、「中聖牛」等に分類されます。「地方凡例録」によれば、これらは武田信玄の創案によるものとされており、また、丸太を三角錐に組み合わせた形状が双角の牛に似ていることから、「牛」と命名されたと記されています。
牛は、杭打ちの難しい砂利や玉石混じりの河床の根固めや水制に適しており、しかも、杭打ち工法よりはるかに堅牢です。また、水をはねつけるのではなく、水の勢いを利用して自らの躯体を沈める仕組みになっています。したがって、適切に配置すれば洪水にあうたびに安定度が増すことになります。
しかし、配置の仕方を間違えれば対岸の堤防を苛め、川を暴れさせることになります。「川に教わり、川をなだめる」、それがこの工法の真髄であり、『聖』の名がついたゆえんと云われています。

 

木曾川沿いには現在もいくつも確認することができる。川面にたち,向ってくる水に対峙する姿は,なかなかカッコいい。木組み構造と敷葉の組合せは,この延長に位置づけて再考しなおしたらどうだろう・・。朝日遺跡の構造物を覆い尽くした「砂」T-SA層,その正体を突き止める手がかりは,ここにある。上左図,豊田市の川原遺跡でも護岸を覆う,木組み構造と敷葉の組合せはまさに類似する構造物だ。聖牛工に近いのが「ヤナ」と木組みの組合せ構造だと思うが・・。「逆茂木+乱杭」も何となく

川原上層II式2段階に大きな洪水性の堆積がある。それを堺にして川原遺跡の景観は一辺するのだが,その砂の堆積層こそが,地域においては,時に古墳時代の扉を開ける出来事でもあった。この物語を再構築する必要があるな・・。