流竄の姿となっていくモノたち

狛犬

かつて日本列島に住みなした人びとは,風も樹も山もすべて「可畏きもの(かしこきもの)」をカミと考えた。すなわち災いをもたらすものも,稔りや大漁をもたらすものも,およそ人の力の及ぶべくもないすべての自然が畏怖の対象であったのだ。やがて天つ神に駆逐され,流竄(るざん)の姿となっていくこれらの神々の運命を辿り・・・・。谷川健一『日本の神々』より,合掌・・・・。

私が一日本人として心の再建を目指して追い求めて来たのは,国家と等身大の神ではなく,幾多の風雪に耐えて日本の歴史や古い文化を今日に伝えてきた神々である。それは古社の片隅に置かれた神であり,農山村や漁村に息づく神,あるいは樹木の下に神域を示す石をならべただけの南島の神,すなわち細部にやどる,いわば路傍の菫(すみれ)ほどの小さき神々であった。