初源期尾張型須恵器は東山窯ですか?

尾張型須恵器,その生産開闢の謎。従来の見解は山崎川・東山窯・アユチ郡域と名古屋台地の遺跡や古墳などの視点であった。今回の物語は,そうではなく,「山田郡」域からの開闢神話。山田郡は矢作川・矢田川水系を抱えるエリアであり,瀬戸山口は猿投山を仰ぎ見る部族社会である。尾張旭市域には城山古窯や卓ヶ洞古窯が存在し,渋川神社界隈に一つの窯業生産拠点があったことは間違いない。東山窯が操業したエリアである猫ヶ洞は矢田川水系の猪子石に近接し,むしろ郡的規模の視点から見えてもこれは山田郡エリアでも良いのではないと考えている。すると,,志賀公園遺跡などでの初期尾張型須恵器の出土を前提に,そのまま矢作川・矢田川水系の活動ルートも見えてくる。その後の山田郡幹線ルートだ。もちろんそこにあの「味美・味鋺」が控えていることになる。

H-111より遡る幻の窯は猫ヶ洞にあるのか,そうではなく。山田郡エリアの最大拠点である志賀公園界隈への需要を見越して・・。ひょっとしたら渋川神社界隈から小幡台地に潜むかもしれないと・・。すると従来の「東山窯から尾北窯やその他の窯操業へ」,,という道筋が,逆であり,東山窯へも窯業生産が開始されていく・・。という視点も見えてきそうだが,,どうだろう。尾張連氏という巨大な氏族の亡霊との戦いかもしれない,,。いずれ整理してみよう。また「猿投窯」と一括する立ち位置は必ずしも良い方向性を見出していないと思う。