「穂」ではなく,もう一つの地域社会

新城 穂

さて師走,今年も最後のプレゼン月間,あと3回。朝日カルチャーで続けてきました「倭国」と「古墳」学,とりあえずの最終日を迎えます,来週。場面は東三河地域,「穂国」。この講座シリーズでは一番近場の地域社会となるのかな,,。

豊川水系の物語は,まずは,本宮山に住まう神を崇める部族社会であった。その伝統は三河一宮「砥鹿神社」に継承されているように思うが,ただ本宮への祈りがどの時点まで遡り得るかはいささか不安である。そしてさらに中流域には別な部族社会を想定してよいと思う。「シダラ」という場面である。そしてこの小さな地域社会をよくよく見ていくと,面白い物語が観えてくる。それは・・・。そして,ぼんやりとした地域社会のまとまりが,2・3世紀の列島に存在した多様な部族社会の縮図を強く感じさせてくれる。

何か・・。「倭王」という幻想をいだくのではなく,「倭王」によりそう者でもなく,地域社会を真摯にとらえ体現した何者かの物語である。

邪馬台国・狗奴国時代を考える事とは。すなわち弥生時代が終わり,やがて古墳時代を迎えるころ。列島の多様にして雑多な,そして何処にもない唯一の「其の」地域社会を見つめる原点がそこに存在した,表面化した,ように思える。

当たり前のことだが,何げない日常・その風景・現象こそが,其の地域社会である。どこからか,持ってきたようなシステム,お話を無理やりはめ込もうとするのは止めたい。