文化遺産「高尾山古墳」

高尾山02

文化遺産「高尾山古墳」が語りかけるモノ
駿河國誕生と高尾山古墳

ありがとうございました。僕の物語は,一つの文化遺産的な志向性と考えていただければ幸いです。少し勝手なことをお話しました。そして皆さんの思いが伝わる場面に出会えてよかったと思っています。

高尾山古墳に眠る王
まず王の出自を「ヤリの王」という視点から愛鷹山山麓に結集した山の民にあると想定したい。彼らは森の民でもあり木材加工やその技術をもつ。さらに石の加工,鉱物資源の利用にたけていたに違いない。愛鷹山山麓から伊豆にかけては鉄資源が眠る地帯である。その伝統がやがて沼津市内の式内社丸子神社に奉られる金山彦に繋がるものと考えている。
スルガ再生のプロジェクトは彼の主導で実施され,その力強い意志と仲間たちに支えられ,やがて多様な民や文物が集まってきた。彼を支えた部族社会は愛鷹山の山の民と駿河湾の海と河川の湿地帯開発に挑む湿原の民である。スルガにはじめての王が誕生した瞬間といってもよい。同時に大規模な古墳造営というイベントが民や富の動員を可能にしていった。それは同時に地域社会「スルガ」を強く意識する場面へと変化し,やがてその領域が「スルガ」と呼ばれる事になっていくものと思う。
高尾山古墳が現在まで地域の神を奉る場面として守られ続けてきたのは,こうした深くこの場面に沈殿した伝説的な物語があったからではなかろうか。やがて忘れられ,平成の世に再び蘇る。その意味する所はやはり,環境変動の兆しが見られる今日的な地域再生への警鐘かもしれない。
(赤塚2015「高尾山古墳から観えてきたスルガの原風景」『駿河における古墳時代前期集落の再検討』静岡県考古学会2014年度シンポより @ziro)

■文化遺産学からの視点
1:考古学等の専門的研究者の視点は,あくまで「古墳」の評価からの言及がすべてである。
2:古墳の評価からだけでは,その文化遺産を護り・継承する道筋は見えてこない。
3:史跡・文化財ではなく「文化遺産」であれば,国や県・市などの行政的枠組みだけのモノではなく,大いなる可能性と幅広い活用が見えてくる。
4:地域に残る物語やその場の具体的な歴史場面がイメージできるストーリーが重要である。
5:どちらが良いかといった二項対立的な視点からは何も見えてこない。
6:まずは歴史の舞台を認識し,具体的なその場の歴史を造って行くことが先決だ。

文化遺産を街づくりに,,という視座。現在の高尾山を凛とした美しい場面へ,動き出す事。

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